ぽこぽこさんの冒険


 ブロンドの髪をなびかせて、スタイルのいい旅人は歩いていました。人っ子一人いない、木々の生い茂る森の中。装備はわりと軽装で、足取りも軽やか。木々に馴染んだ静寂は、心地よく旅人を迎え入れます。

「もうすぐ町のはずなんだがなぁ」

 と、木々の合間の空を見上げ、旅人は呟きました。なんとその声は、一瞬で男性を虜にしてしまいそうな美しい声でした。

 ブロンドの髪。洗練されたスタイル。そして美しい声。溢れんばかりの美貌に恵まれた旅人は、がさごそと乱雑に、草木を掻き分けて進んでゆきました。



 リコは宿屋の看板娘です。長い銀髪を後ろで束ね、今日もせっせとお仕事の準備です。
 今日のお仕事は、午前に店番、午後には山菜を取ってくるお仕事です。
 リコのいる宿屋は、国から認められた、いわゆる国家施設のような施設でした。稀に、国のお偉いさんも利用する、名誉ある宿屋です。しかし、外装や雰囲気は硬く構えたものではなく、あくまでも一般のお客さん――旅人に向けた宿でした。

 お仕事の準備を終えたリコは、自宅の玄関から出て、隣の宿屋へ向かいます。
 昨日はとても怖そうな、がたいのいい斧使いの旅人が数人やってきました。その旅人達にもリコは怖気づかず、熱心に接客したところ、旅人達はリコの事をとても気に入ってくれました。旅人達の話はどれも面白く、人間、見た目と中身は違うのだ、とリコを感心させました。
 一昨日は、若い吟遊詩人がやってきました。見た目はリコより何歳か上のように見えます。この吟遊詩人もリコを絶賛し、素敵な歌を聴かせてくれました。まだ若いのに、様々なものを見てきたのでしょう。その歌には沢山の思いが詰まっているように、リコには感じられました。
 毎日様々な人と出会います。時には辛いこともありますが、リコは仕事が大好きです。
 リコは、毎日の仕事が楽しみなのです。

「おはようございます!」
 と、リコは元気に扉を開け放ちました。お仕事の始まりです。リコは業務員室にある裏口から建物に入りましたが、業務員室には誰もいませんでした。いつもは最低でも一人いるのですが、今日はきっと早くからお客さんが来ているのでしょう。
「手伝いに行こっと!」
 リコは袖をまくって、気を引き締めました。リコの接客モードです。
 リコは業務員室の木の扉をそっと押して、宿の玄関へと向かいます。
 綺麗に磨かれた床を、うるさくならないように歩きます。と、そこでリコは気付きました。玄関のほうが何やら騒がしいです。誰かの怒鳴るような声と、必死に落ち着かせようとする声がします。リコには、後者がこの宿のおかみさん――リコのお母さんであることが分かりました。しかし前者は分かりません、お客さんでしょうか。
 大変な事が起きてる、という事だけリコには分かりました。とにかく玄関に行ってみないと分かりません。リコは小走りで廊下を駆け抜けました。


「だからよぉ、名前は書いたって言ってんだろうがよ」
「しかしお客様、偽名は困ります!」
「偽名? 俺が偽名を使ってるって証拠がどこにあるってんだ」
「魔術データベースです。この宿は国家施設ですから、お客様の戸籍のある地域、そして名前を正確に公開してくれないと、お客様を泊めることはできないのです……!」
「魔術データベースってあれか? 様々な情報が大陸に張り巡らされた魔術回路によって共有できるっていう。よく分からんがめんどくせぇ技術だな。開発やめちまえ」
「あの! 話を逸らさないでいただけますか!?」
 リコが辿りついたとき、玄関は大騒ぎでした。そこにはお客さんとお母さんしかいませんでしたが、そこにいるのが二人なのが嘘のようでした。

「ど、どうしました……?」
 リコは恐る恐るお母さんに聞きます。仕事中なので相手がお母さんでも敬語です。あまりの出来事に、敬語を使うのを忘れそうになりましたが。
「お客さんがね、情報を捏造して宿に泊まろうとしているの」
 と、お母さんはリコに少し近づいて言いました。
 お母さんはいつも通り着物を着こなしていましたが、いつもでは見られない苦渋の表情をしていました。

「……ほ、ほぉ」
 リコは戸惑います。この時代に、捏造?
「データベースに該当する名前が無いから、捏造なのは確定なんだけど……、」
 そして、お客さんはあまり見ない系統の人でした。短剣を腰に付けているところから、旅をする人間のようにも見えますが、それにしては旅人と判断できそうにない軽装。そして、

「おい、おかみさんよぉ」
 呼んだのはお客さんでした。

「……なんでしょうか」
 悩むお母さんの代わりに、リコが答えました。酒に酔った面倒くさいお客さんの相手をしたことはありますが、素で厄介なお客さんを相手したことはありません。
 リコは心でため息をつきつつ、お客さんの方を見ました。

 そこにたのは、女性でした。
 ブロンドの、美しい髪の毛。
 芸術品のように、洗練されたスタイル。
 そして、人を惑わし虜にしてしまう、声。

 その声で、

「ガキには話しかけてねぇ。黙れよ」
 と。
 お客さんはリコにいいました。

 リコは一瞬なにを言われたのか分かりませんでした。が、すぐに理解し、

「――っ! こ! これでも私は、ここの仲居だぞー!」

 と怒鳴っていました。
 騒ぎは燃え広がりました。



 なんやかんやで、騒ぎは落ち着きました。お客さんも面倒くさくなってきたのでしょう、「分かったよ、本名を記してやる」と偉そうにしおらしくなりました。しかし、そうしおらしくなってから、しばらく時間が経っています。本名を書くか書かないか悩んでいるようです。

「お客さん、本名を書かないと、ここには泊められないですよ」
 と、リコのお母さんは言いました。お客さんは既に何回も聞いているでしょうが、念を押すようにお母さんは繰り返します。
 リコはその様子を黙って見ていました。先ほど騒ぎを広げて以来、お客さんに暴言を吐きまくってしまったので、自粛モードです。しかしお客さんに暴言を吐いたにもかかわらず、お母さんには咎められませんでした。お母さんも相当頭に来ていたようです。

 書類を前に、ペンを持ち、腕を振るわせたり思い悩んだりするお客さんを、リコは見つめます。
 書こうとすれば紙からペンを離し、ペンを回し始めます。そしてしばらくして思い悩んだ後、また書類に手を付けようとしますが、やはりなにも書く様子はなく、
「――も、勿体ぶるんじゃないよ!」
 と、リコの我慢は解かれました。

「う、うるせぇ、書くわ! 少しぐらい待てや!」
「あれから結構時間たってるんですけど……」
 と、リコのお母さんも言いました。
「うるせぇ、う、うるせぇ! 見てろよ!」
 そう言って、お客さんはペンを持ち直しました。

 そして、紙面にそっとペン先を近づけます。
 なぜかその場に緊張が走ります。

「俺は、俺は名前を書くんだ……」
 と、お客さんは呟きます。リコはその様子をじっと見つめます。
「俺は、俺は……」

 そして、ペン先が、紙面に辿りつきました。
 そのペンは、ゆっくりと、しかし確実に文字を形作ってゆきます。

 ぽ

「ぽ……」
 お客さんは唱えるように呟きます。

 ぽこ

「こ……?」
 お母さんもそれを見守るように見つめます。

 ぽこぽ

 え? また「ぽ?」とリコは思いましたが、口を結んで見守ります。

 ぽこぽこ

「くっ――!」
 お客さんは自身の何かと戦っているようでした。

 ぽこぽこさん

「おらぁああ! 書いたぞぉああっ!」
「ええ!? これ名前なの!?」
 リコは思わず叫びました。
「うるせぇー! どう見ても名前だわ!」
「さんまで含めて!?」
「さんまで含めて!!」

 旅人は、「ぽこぽこさん」と言うようでした。
 すぐさま、
「これ、偽名ですよね」
 とお母さんはぽこぽこさんに言いました。が、ぽこぽこさんは、
「ほ、ほ、本名だわややい!」
 と変な感じに言い返しました。
「はぁ、そうですか。じゃあ魔術データベースで調べてみますね」
 そう言って、お母さんは受付に備え付けられた水晶でデータベースに問い合わせます。
「シリウス村の、ぽこぽこさんさん、ね……」
「名前が擬音のようだ」
「やめろ!」
「なんでこんな愉快な名前に?」
「深い事情があったんだよ!」
 などとリコとぽこぽこさんが話しているうちに、お母さんはデータベースで調べ終わったようでした。

「シリウス村のぽこぽこさんさん、確かに確認しました!」
 と言ったお母さんは、手でリコに合図をします。どうやらお客様をお部屋に案内しろ、ということのようです。

「よかったですね! ……どーぞこちらへ!」
 リコはぽこぽこさんに一礼し、手招きしました。


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